[マルガリータ街 8番通り Cと小さな新世界]

 世の中、だいたいのことは運だ。運で決まる。

 男に生まれるか、女に生まれるか、体は健康か、美しいか、どんな国、家庭に誕生できるのか、異性を愛せるのか。

 僕は男で、健康、残念ながらハンサムとは呼べない顔、治安の悪い一角はあるが戦争などはない国で、クリスチャンの優しい夫婦のもとに誕生し、異性は愛せなかった。

 この異性を愛せない性癖、度々ネットでゲイポルノを見ながらマスターベーションしてしまうことのみ秘密にして、あとはまじめに生きてきた。両親は優しくて愛に溢れていたけれど、厳格なクリスチャンだ。息子が同性愛者だなんて知ったら、発狂してしまうだろう。自慰自体、生殖以外で精液を零す不自然な行為だと非難する、異性愛者であるただの思春期の少年にでさえ両親は厳しい性質なのだ。

 しかし、ネットを介して知り合った、僕と同じ性癖の少年と恋に落ちてから、僕のまじめさはゆるんでしまった。最初は絶対にバレることがないようにと最上の注意を払っていたが、デートを重ね、十分に仕方を勉強してから彼を抱いて……僕は段々恋の熱に浮かされてしまった。

 こんなにも愛し合っているんだ、わかってくれる。と、いう甘い幻想がどこかにあったのだろう。近所の公園でのデートで大胆にいちゃついたりしてしまった。それを両親の友人に見られてしまった。もちろん、その友人もクリスチャン。

 家で問い詰められて、必死にただの仲のよい友達だ、ふざけていただけだと誤魔化したさ。両親はとりあえずは納得したようだった。でも……

「冗談でも、もう二度としないように。自然に反する行為だ」
「そうよ、同性愛者は地獄に堕ちるべき罪人なのよ」

 物心つく頃から、女の子に対してはなんとも思えなかった。無理して愛して、将来子供でも作れと? そのほうが不自然だ。まだ見ぬお嫁さんを僕はきっと不幸にしてしまうだろう。それで、地獄に堕ちずに済むのだろうか? 愛せる者を愛して幸せになったら、地獄へ行くことになってしまうのか?

「はい……」

 と、答えつつ、もうダメだなと思った。キリスト教でも宗派によっては同性愛におおらからしいが、これが自分にあてがわれた運なのだろう。

 その運の中で、僕はある選択をした。同性愛を秘密にしたまま生活して、恋人とはそのうち別れて、学校を卒業したあと適当な理由をつけて遠い就職先を選び家を出た。

 そして、たいして長続きしなかった仕事を辞めたあと、隣人は愛せても息子を愛してはくれなさそうな両親に、いっさい連絡をしなくなった。


 ストレートに恋してしまう悲しいことも多かった。だから救いを求めるように、ゲイタウン、マルガリータ街8番通りへ甘い幻想を抱いて逃げてきた。

「お兄さん、お兄さん!」

 声をかけられて振り向くと、げっそりとしたソバカス面の少年が突然、体の前面を壁に押しつけて、薄汚れたジーンズを下着ごと脱いでみせる。自らの締まりのない垂れた尻を指差し、こちらに顔を向けてニヤニヤ笑っている少年の口からまばらで、かろうじて残っているといった様子のボロボロな歯が覗いていた。

「ファック! ファックしてくれよ」

 無視して通り過ぎると、罵声のみ追いかけてくる。……。

 年端もいかない少年達が金とドラッグと愛を求めて道端に立っている。衆人環視も気にせず男達がいやらしく絡み合っている。

(なるほど、地獄だな)

 社会から追い出された罪人達がきりきり舞いしている中へ、もうまじめを演じる必要性もない僕は安易に、自棄に飛び込んでいった。

 レイプされた青年が道端で放心している。近所で少年が飛び降り自殺する事件が起きた。顔見知りの男娼がドラッグを致死量使ったらしい。……。

 そんな生活にも疲れた頃、部屋を借りたアパートメントのすぐ前にあったバーでバーテンを募集しているのを見つけた。このバーのママは地獄に毒されていない数少ない人で、癒しを求めて僕はたびたび通っていた。

 虚ろな目をしている男娼と話し込んでいるママ。男娼の目尻にはよく涙が光った。タチの悪いトラブルは時折、物理で解決してしまうママ。……そんな中、僕は客から金を見せられて誘われることもあったけど、もう抱いたり抱かれたり愛を安売りする、虚しく疲れるだけの行為はやめた。

 ただただ、冷めた目でマルガリータ街の男達を眺めて過ごしていた。


「キャーッ! どうしたのこの子!?」

 ある日の明け方、バーを閉めてママと一緒に外へ出ると、路上で少年が黒髪(ブルネット)を血で染めて、倒れていた。ママが慌ててハンドバッグから携帯電話を取り出そうとする。

「ママ、まずは様子を見よう」

 制すると、ママはすぐに納得してバッグからなにも持っていない手を出した。非常識だろうが、こんな街だ。よほど重傷だったり、死んでしまいそうな状態ではない限り、救急車を呼ばれたら迷惑な状況にいるということもあるだろう。

「コスタ、あなたの家すぐそこよね? この子、置いてあげて」
「ああ……」
「ちょ、この子、怖いくらい軽いわ」

 まあ、それがせめてもの常識だろう。様子を見て、気を失っているがとりあえず死ぬほどではないとわかると、ママが軽々と華奢な少年を抱きあげる。部屋へ運ぶ途中、隣に住んでいる老夫夫がちょうど出てきて、視線を投げかけてくる。

 ベッドに寝かせた少年に丁寧かつ手早く手当てを施したママが出ていったあと、少年をなんとなく観察していた。黒髪に、黒のアイラインで囲われた目に、黒のパーカーの袖から覗く手先の爪も黒。両耳一杯と、口、眉にピアス。色と、そんな攻撃的に思える要素に可愛らしい顔立ちが加わって、少年の姿に綺麗な黒猫を連想した。バーでナンパ待ちをしている男娼達の中に見かけたことがあるかもしれない。

 可愛らしい顔立ち。ならばたぶん、重度のドラッグ中毒者ということはないだろう。コーヒーを淹れてベッドのそばに座り、少年の浅い呼吸と時折漏れる唸り声を聞く。コーヒーを飲みおわり、シャワーを浴びに立つ……眠いが心配で、少年が目を覚ますまで適当に時間を潰した。

 眠気が限界に達しつつある頃に、ベッドのそばでうろうろしていると、少年がようやく瞼をゆっくり開けるのを認めた。

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