[ピュール]

 窓から射す月光に、寝台の上で丸まっている躰が蒼白く照らされている。身じろぎすらしないその塊のようなものを、黒い睛がじぃっと見ている。

 窓の縁で鴉は少女の肉塊を飽きることなく、見つめつづけていた。鴉に細い背を向けて、膚のほとんどを長い髪で隠している塊の正体は少女だということを鴉はとっくに知っている。陽光が射す時間も様子を見つづけていたから、少女の膚のその白さも知っている。

 そろそろ目覚めてくれるはずだ。今夜が明けたら、死人のように白い頬に赤みが差す――そう予感しながら、鴉は月が沈むのを待った。

 そして太陽が昇ると、少女は震えるなどの前触れをいっさい見せずに起きあがったものだから、鴉の小さな心臓は跳ねた。

「お、おはよう」

 鴉の聲に少女はゆっくり振り返る。黒髪の隙間から覗く頬と、薄い唇はほんのりと紅色に色づいていた。まだ眠たそうな半開きの目、黒い睛に鴉を映している。

 鴉は羽を震わせた。温度を持った少女の膚に触れたいのだが、鉤爪では傷つけてしまう。自分の躰が憎くなり、悶えたのだ。朝の光を受けて、艶やかな髪のみを纏った眩く見える白い裸躰へ、鴉は寝台におりて近寄った。

 自分は誰なのか、ここはどこなのか。そのような疑問を抱くのに必要な意識というものの存在自体、知らないであろう少女に鴉は云った。

「君は、この森が産んだんだよ」

 窓の外、緑が光っていた。

「呼び名がないと不便だ。カラスマルでどうかな? 僕はカラスでいいから」

 前から決めていた名前だった。眺めつづけた、柔らかそうな丸みを帯びた少女の輪郭からマルと思いついたけれど、それだけではなんだか味気ない。だから、少女を見つけた自分の種の名を足した。ちょうど少女の髪は行水したあとの自分の羽のような美しさで、似合うとも思ったのだ。

 カラスマルが頷く。鴉は満足してつづけた。

「産まれたからには、生きなくちゃね。僕が生きる方法を色々教えてあげる。まずは外へ出てみよう。……ああ、その前に服を着て!」

 寝台からおりて、ドアへ向かおうとするカラスマルを鴉は慌てて止めた。

「毛皮も羽毛もない生き物が、なにも纏わずに外へ出るのは危険だよ!」

 羽ばたいてカラスマルの前に廻り、平らな胸を見ながら云う。この未熟な躰を好む獣は沢山居るのだ。

「寝台の隅にワンピースと下着が畳んであるから、それを着て。たぶん、前の少女の持ち物じゃないかな」

 カラスマルは頷いて、寝台へ引き返す。意味までわかってくれているかは知らないが、とりあえず言葉は通じていることに鴉はほっと安堵した。

(僕が守ってあげなくちゃ)

 鴉はカラスマルを初めて見たときから、恋していた。


 装飾のない白地の下着に、黒のパフスリーブのワンピース。それらを着てから、カラスマルは鴉と一緒に外へ出た。直接射す朝日の眩しさにカラスマルは円らな目を細める。

 目の前には生い茂り、光沢のある葉。背後にはカラスマルが昏々と眠っていた、丸太で出来た小屋。小屋周辺は木が開けていて、晴れていればよく光が降り注ぐ位置らしい。

「ついてきて。君の生きる方法がある」

 低く、ゆっくり飛んでいく鴉の後を従順にカラスマルは追っていった。草木を掻き分け、小屋の中に転がっていた丈の短いブーツを履いた足で危なっかしく道ならぬ道を進んでいく。地面から迫り出している木の根は鴉が存在に気づくたび警告していったから、カラスマルはたまに躓きつつも、なんとか転ばずに済んだ。

 段々、鬱蒼としていく木立に光は遮られ、明るい緑はなくなっていく。濃い影に覆われた森の景色は、暗い茂みからなにか恐ろしいものが飛び出してきそうな気配があって鴉の神経を尖らせたが、カラスマルは相変わらず鴉だけを見て、ついてきている。

 無事にそんな不気味なところを抜けると、再び木が開けて光射す。光沢を帯びる葉と、木々に実っている艶々した真紅の玉。林檎をさげている枝に鴉がとまった。

「ひとつ、もいで食べてごらん」

 頷き、躰がもう少し大きければ背伸びして採れるであろう林檎を、カラスマルは鴉の助云を受けながら枝に足をかけ、木を登って採った。齧ると、カラスマルの無表情が僅かに緩む。美味しいのだ。林檎についた小さな歯形から、たっぷり入っている蜜が覗いている。

「自分で食べるのもいいけど、それを村っていう、人が沢山居るところで譲るとお金になる。お金は生きていくのに必要なんだ。前の少女もそうやって生きていた」

 しゃくしゃく、と小気味よい音を立てて咀嚼し、飲み込んでからカラスマルは頷いた。初めての快楽に夢中になり、口元を果汁と細かく砕けた果肉で汚しながら。濡れた唇から、鴉は思わず目を逸らす。

「拭かなくちゃ、汚いよ。……村は明日行こう。今日は帰って、僕が今まで話したことをもう少し詳しく説明してあげる。あと生きるにはお金だけじゃなくて、自分のお手入れの仕方や料理や掃除、ほかも色々必要なんだ。それも全部教えてあげる」

 それから小屋へ引き返し、カラスマルの生活ははじまった。


 生きていれば汚れるし、お腹も空く。厨房に残っていた干し肉と固いパンを口にしながら、カラスマルは今後必要になるであろう料理に使う器具の説明を聞いた。話しおえ、次は掃除について教えようとテーブルの椅子からカラスマルを立ちあがらせた鴉はある違和感を覚え、そして悲鳴をあげた。

 黒いワンピースの黒が一部、濃くなっている。それはカラスマルの股ぐらの辺りだった。床にごく薄く埃があるのみだったからとりあえず話すだけで鴉は教えるつもりだったが、掃除は本格的に実践させることとなった。雑巾で椅子と、その下の床を拭かせる。ついで外へ出て、小屋のそばにあった井戸で身の清め方と洗濯をカラスマルは習った。

「ああ、あったあった。カラスマル、排泄は出来る限り、この中でするんだ」

 小屋に戻り、小部屋で見つけた陶器のおまるを鴉は示す。カラスマルは裸のまま頷いた。衣類はあのワンピースと下着以外、見つからなかったのだ。

「……お金が手に入ったら、ほかに着るものも買わなくちゃね」

 こうして一日はおわる。翌日乾いた服に身を包み、髪を二本の三つ編みにしたカラスマルが鴉を連れて小屋を出た。長い髪は綺麗だけれど、カラスマルがやや鬱陶しそうにしていたのを鴉が見かねて、革の紐を使わせて教えたのである。

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